IN⇔OUT

入れたものは出します

インプットとアウトプット

インプットとアウトプット

以前なにかで読んだ、という程度なので、ソースはないに等しいあやふやさなのだが、読書というのはインプットとアウトプットが同時に行われているそうだ。文章を読む=インプットしながら、情景を想像する=アウトプットしているというわけ。
小説に限らず、ビジネス書やハウツーものでも、それを行っている自分を想像するというのはすなわちアウトプットしていることになるだろう。
これを読んだときに、自分に関してひらめいたことがある。
私は、どんなものに関しても、インプットとアウトプットを同時に行っているのだ。
文章はもちろん、音楽もダンスも演劇も映画も、素晴らしい風景も絵画も、誰かと飲みに行ったことまで、全部見聞きしながら、頭の中で、凄まじい勢いでアウトプットしている。
しかも、その形はほぼすべて文章だ。
感想、レビュー、紹介文、批評、あるいは取るに足らないも含めて、たくさんの言葉がアウトプットされる。
せっかくなので、それをどっかに書き残しておこう。という訳で、ブログを始めてみる。

インプットとアウトプットということに関してもう少し

これも最近突き詰めて考えた結果、そうなんだなあと思ったことなんだけども。
脳で考えたことが身体的に上手く行き渡らないことがある。というか、上手くいかない。
昔なら運動音痴だったし、習ってたピアノは右手と左手が違う動きができなかったし、見たものを描く写生は物凄く下手だった。
私の脳から出る信号を私の体は上手く処理できない。
たったひとつ、言葉だけは自由になった。五感に響いたものを言葉にすることだけが、唯一、自分の脳の信号を処理することができた。

これまで、楽器もいろいろ囓った。ダンスもやった。そのたびに思い知るのだけど、私の体は、私の命令がよく理解できないのだ。相性がとても悪くできてるのか回路に異常があるのか。
その辺りは定かでないけれど、多分、そういうことなんだろう。

そんなわけで、音楽やダンスという身体表現をすることは二度とないだろう。やらなきゃ良かった。と思ったこともあったけれど、まあ、体験したことは私の言語野を豊かにしたと思いたい。
演奏できなくても踊れなくても、それを知っているということは、知らないよりはプラスだ。

そんなことを思いながら、ポツポツと書いていきたい。


ちなみにジャンルは多岐にわたる。音楽も映画も演劇も小説も美術も。
ロックもインプロもジャニーズも。
雑食でいること、は私にとってとても重要なことだから。

とはいえ、適当にやってるので、適当にみてやってください。

では